中東 歴史。 中東問題を歴史に沿って分かりやすく解説するよ〜

いま中東で何が起きているのか? アメリカ覇権の終焉が意味すること(臼杵 陽)

「イスラム国」が勢力を伸ばしている イラクとシリアでは近年、スンニ派は抑圧されていました。 フェニキア人は本拠地の沿岸で得られる貝の分泌物を用いた染色の技術やレバント特産のレバノンスギの高級木材の交易を独占し、また地中海全域で高い価値を持つ奢侈品、威信財を手広く交易して巨富を築いた。 1490ころエジプトのトゥトメス3世、シリア、パレスチナ征服 B. 英語では「 The Near and Middle East」と呼ばれます。 一方で会議に招聘されなかったPLOアラファト議長も、国際的に存在をアピールする必定に迫られた。 とくに石油運搬ルートとして使っていたイギリス・アメリカは大反発しました。 分析に耐えうる成人2人分でDNA分析や当時パルミラ人に流行していたフッ素症の有無を調べる。

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それは1979年から始まった。アメリカとイラン、敵対の歴史を紐解く

もっとも印象に残った箇所を抜粋・感想 いろいろ仮説が立てられるが、仮に大ナタを振るって、「イラン人」「アラブ人」「トルコ人」という中東世界の主要3歳民族を軸に歴史を整理すると、歴史はかなりスリム化される。 パレスチナ解放機構(PLO)設立 1967第三次中東戦争(6月) 1968アラブ石油輸出国機構(OAPEC)発足(1月) 1969PLO議長にアラファトが就任。 第二次世界大戦後、「約束の地」めざしてユダヤ人の移民は活発化。 1948年、イスラエルが建国されます。 9.08 第4次中東戦争始まる. 9.24 パーレビ国王,ソ連・サウジ・クエートを相次ぎ訪問. 68年 OPEC総会.産油国の石油事業への参加を要求する基本方針を採択. 1969年 4.20 イラクとイラン, シャットルアラブ川の水利問題をめぐり関係悪化. 5.25 スーダン革命.ニメイリが政権を掌握. 69年7月 7月 スーダンでクーデターが成立.ヌメイリ独裁政権が打倒される. 9.01 リビアで民族派軍人のクーデターが成立.カダフィが指導者となる. 10.17 パーレビ国王,訪米しニクソンと会談. 11月 サダム,バース党革命指導評議会(RCC の副議長に就任.非共産党員左派のアジズ・シャリフが司法大臣に就任。 イスラエル独立宣言がなされた翌日には、アラブ諸国がいっせいにイスラエルへ侵攻しました。

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いま中東で何が起きているのか? アメリカ覇権の終焉が意味すること(臼杵 陽)

1530ころヒッタイト、バビロン第1王朝を滅ぼす B. のに端を発してが起こり、同時多発テロから1年半後のにはが勃発した。 「大元がおんなじ神様なら、仲良くできないものなの?」と素朴なギモンが日本人ならわいてくるもの。 クウェートがイギリス保護下に入る 190512月 イラン立憲革命(~1911) 19087月 オスマン帝国で「ミトハト憲法」復活。 歴史を動かした、認識の転換でした。 スーダンでマフディー運動起こる 1882イギリス、エジプト占領 1885東部ルーメリアの反乱 1887イギリス・ロシア間でアフガニスタン国境協定 1889「アナトリア鉄道会社」設立 1891イランでタバコ・ボイコット運動起こる 1893アフガニスタンとイギリス領インドの国境画定 1894アルメニア紛争発生 1896クレタ島の反乱 1897ドイツ、バグダード鉄道敷設権獲得 1899エジプト・イギリスのスーダン共同統治開始。

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漆喰棺から探る古代中東の歴史

小アジア半島に建国した - はので一時ティムールに敗れるが、やがて勢力を回復。 「もともと中東やアフリカは紛争やテロが多くて、それが21世紀に入って世界の他の地域に拡大している」のだろうか。 1994年、ガザに帰還したアラファトは、次に西岸のヘブロン、ナブルス、ベツレヘムを経てイェルサレムに到達することを予言した。 2650~ウルク第1王朝ギルガメシュの治世(ギルガメシュ物語) B. その後は、石油価格は基本的に市場に委ねられ、今日に至る。 中東協力センターニュース 2018・7. (シーアという言葉が「派」という意味を持ち、 「アリー派」という意味を持っています) 宗派対立を背景とする混乱 今年に入って、サウジアラビア(スンニ派)と イラン(シーア派)が国交を断絶しました。

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中東はどのように今に至ったのか|中東解体新書|NHK NEWS WEB

この記事では宗派対立について述べてきましたが、 対立は必ずしも宗派の違いによるものだけでなく、 政治的な利害が大きくかかわっており、 中東内にも様々な見解があります。 メソポタミアを境に西のローマ帝国と東のアルサケス朝、サーサーン朝が対峙する時代続いた後、がよりの啓示を受けを開くと、時代 - 、 661 - 、 750 - と変遷の間に周辺地域を次々と征服していき、イスラム教系の王朝は西は、東は、南は、北はをその領土とし、暗黒のを送ったとは対照的に非常に優れた文明を誇った。 いままでの軍隊同士の闘いではハイテク武装したイスラエル軍が圧倒的に有利であったが、女性や子供も含む民衆が武器を持たずに立ち上がるという形態にはイスラエルも手を焼き、中東和平を望む国際世論を無視できなくなった。 イスラム帝国はサーサーン朝を滅亡させて東ローマ帝国をの端にまで追いつめ、中東のほぼ全域を統一的な支配下におさめた。 アメリカ・メリーランド州のアナポリスで和平国際会議開催(11月27日) 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について. そしたら、図やイラストが見やすかったので図書館から借りて読みました。

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宗教と民族の歴史に学ぶ<中東編>

1921年 2 ペルシアでレザー・カーンのクーデター勃発.レザー・ハーンはコサック傭兵部隊の指揮官にすぎなかったが,イギリス帝国の後押しで皇帝を退位させる.カージャール朝の滅亡. 3.13 カイロでチャーチル植民地相が出席して英国植民地担当者の会議.アラブ民族主義への対応を協議. ウィルソンの副官であるガートルード・ベルが,フランスからダマスクスを追われたファイサルをイラク国王とし,アラブ人による仮政府を樹立することを提案し,認められる. 4月 イギリス,「トランスヨルダン首長国」を建設.ハーシム家の二男アブドッラーを首長にする.パレスチナは引き続き直接統治し,アラブ人とユダヤ人の住み分けを図る. 5.09 英国植民地省のパーシー・コックス卿,将来におけるイラクのペルシャ湾進出を阻止するため,バスラ地方からクウェートを分離. 8.23 英国,イラク国内の反発を押さえるためイラク王国を樹立.旧オスマントルコ帝国のバグダード,バスラ,モスルの三行政府を統合したもの.前アラブ王国のファイサルを国王にたて,英国の委任統治のもと立憲君主体制をとる. 21年 イギリス軍傘下のアラブ人部隊が,ハシミテ家とサウド家に分裂.サウド家は元来リアドの太守であり、そこにサラジアラビアを建国. 1922年 7.24 国際連盟理事会,サンレモ会議の合意を承認.バルフォア宣言の骨子も承認される. 英国は国際連盟によりパレスチナ(エレツ・イスラエル)の委任統治権を与えられ,「この地に対するユダヤ人移民と開拓」の助成責任を課せられる. 22年 イラクで 住民投票が行われ、なんと98%の投票者がファイサルによる王制を支持. 22 イギリス,エジプトの形式的独立を認める.「独立」を膳立てたミルナー植民地相は,「帝国主義とはキリスト教的なものである」との名言を残す. 22 トルコにおけるケマル・アタチェルクの改革.イスラム政治を否定した近代化憲法を公布.帝制の廃止.封建制と重商主義からの脱却.近代化と資本主義の育成.農地改革は不徹底に終わり,大地主と新興資本家が癒着し,労働者・農民を搾取・収奪する体制に移行. 23 全土にわたる普通選挙を実施.祭政一致を除去した新憲法を議会で制定.イギリスとの保護条約を結び、クルド族にある程度の自治を許しながら国軍に取り込む. 25 インド政庁の支援を受けたカタールのイブン・サウード,ハーシム家を駆逐しアラビア半島を制圧. 25 国際連盟,北部モスル地方のイラク帰属を決定. 25.12.15 レザー・ハーンがペルシャ国王に即位.レザー・シャーを名乗る.パーレヴィ朝成立. 26.6.05 イギリス・トルコ・イラク間でアンカラ条約が締結される.イラク・トルコ間の国境が確定してモスール問題が解決する.この条約によりクルディスタンの分断も確定. 28 イギリス,エジプトの集会の自由法案の廃棄を要求し最後通牒. 29 カイロでムスリム同胞団が結成される. 31 イラクで,軍事基地の使用権,埋蔵石油の採掘権などに固執する英国に対し抗議活動が活発化. 32 イブン・サウード,サウジアラビア王国を開く. 32.10.03 イラクが 国際連盟に加入し、「完全独立」を果たす.英国は委任統治の終了に同意.ハーシム家を強化しサウジ封じ込め戦略に出る. 33 イラクのファイサル国王が死去,息子のガジが王位継承.アッシリア人への弾圧を開始. 33 アメリカのSOCAL社 現アラムコ ,サウジ東部で大規模な油田を開発.この後アメリカがサウジの石油利権を独占. 34 イブン・サウド,アメリカの支援を背景にサウジアラビアの王位即位を発表. 34 シリア議会,対仏条約反対のために,無期限停会. 35 ペルシャ,イランと改称.レザー・シャーは伝統的な宗教の権威をおさえ,枢軸国の援助を受け軍隊などの近代化を推し進める. 35 イラク南部ユーフラテス流域では部族反乱が相次ぐ.この戦いの中でイラク共産党が創立,急速に勢力を拡大. 36 イラクで人民弾圧の先頭に立つバクル・スィドキー将軍がクーデター. 36 クルド人が自治を維持していたディルシムをトルコ軍が包囲.指導者のサイード・ルザをはじめ、数千人のクルド人が虐殺される. 39.9.01 第二次世界大戦が始まる. 39 イラクのガジ国王,自動車事故により死去,息子のファイサル2世が王位継承.ファイサル二世は当時4歳. 1941年 4 イラクで,ファシスト的傾向を持つラシード・アリ・ガイラーニー(キーラニー?)ら,若手将校のクーデターが成功.国王一家は一時国外退去. 6.08 英軍と自由フランス軍,仏領レバノンとシリアで活動を開始. 6月 キーラニー軍事政権,英国により打倒される.国王ファイサル二世が復権. 6月 ヴィシー政府の下で,シリアとレバノンにフランス軍が引き続き進駐.司令官ダンツ将軍はドイツ空軍の駐留を承認. 7月 英軍,ドゴール軍部隊とともにシリアとレバノンを占領.ドゴール派の民政官カトルー将軍はシリアとレバノンの「独立」を承認するが,旧フランスの統治機構はそのまま残される. 8.25 イギリスとソ連,イランへの進駐開始.中立を続けた レザー・シャーは退位を迫られる.これに代わり息子のモハンマド・レザー・パーレビが国王に即位. 1943年 11.11 レバノンで選挙.民族主義政権が成立.ドゴールは新閣僚全員の逮捕を命じる. 11.23 英国,レバノン弾圧に高まるアラブの抗議を前に,ドゴールに最後通牒.ドゴールは逮捕者全員を釈放. 43 アラブ復興党とアラブ再生党が合併しバース党を結成.民族主義派学生を中心とする組織で,ファシズムに親近感を持っていたという. 43 ルーズベルト大統領,「サウジの防衛はアメリカにとって肝要」と発言. 1945年 3.22 アラブ連盟が成立. 5.01 レバノン・シリアの再植民地化を狙うフランス軍部隊がベイルートに上陸.駐留中の「特別連隊」とともに民族政権打倒を目指す. 5.19 ダマスカス,ベイルート,トリポリ,アレッポで市民のゼネストと抗議デモ.群集にフランス軍が発砲,市街戦となる. 5.29 フランス軍,ホムス,ハマ,ダマスカスの町を空爆.市民多数が犠牲となる. 12月 イランのタブリーズでソ連軍の援助の下にアゼルバイジャン自治共和国樹立. 12.30 フランス軍戦闘部隊がベイルート上陸.アレッポ,ダマスカス,ベイルートの市民はゼネストで応える. 1946年 1月 カイロの紡績労働者のストライキ,アレキサンドリアにも波及.エジプト共産党は短期間に5千の党員を獲得. 1月 ソ連の後ろ盾で,イラン領内のクルド人によるクルド人民共和国の独立が正式に宣言される.カズィ・ムハンマドが大統領に就任.イラン領内のマハバドを首都といたことからマハバド共和国とも呼ばれる.ソ連はアゼルバイジャン,クルド両国の依頼を受け軍の駐留を継続. 4.17 フランス軍,シリア・レバノンから撤退.シリアは独立を達成.初代大統領にシュクリ・クワトリが就任. 5.25 トランスヨルダン王国,イギリスより独立.大シリア帝国の復活を目指しイラクと軍事同盟を結ぶ. 11月 アメリカの支援を受けたモハメッド・シャー,アゼルバイジャン,クルドとの交渉を打ち切り.武力鎮圧に乗り出す. 12.14 イラン政府がマハバドに侵攻.マハバド共和国は11ヶ月足らずで崩壊.カズィ・ムハンマドらは処刑され,クルド語の出版・教育は禁止される.ほぼ同時にアゼルバイジャン共和国も崩壊.マハバド軍を支えたバルザーニは,イラクに戻り,KDP党首に迎えられる. 46 バルフォア宣言記念日を期してバスラでゼネスト展開. 46 シリアで,アフラクらが「バース党」綱領を発表.反共社会主義路線とともに,汎アラブ路線,イスラム教と国家の分離を提起. 46年 サウジ東部石油地帯にダーラン米軍基地が建設される. 1947年 10.06 イランと米国が軍事協定を締結. 10.07 イラン議会,ソ連への石油利権譲渡を含む石油協定の批准を否決. 47 シリアでバース党の第1回大会が開催される.強権による大衆操作を通じて,国家社会主義をめざす. 1948年 1月 イギリス軍の部分撤退に基づくイギリス・イラク条約の改定,国内で共産党などが反対運動を展開.政権交代により改定が阻止される. 2.17 イラン,アメリカから1千万ドルの軍事援助を受け,軍の近代化に乗り出す. 1949年 1月 シリアでフスニ・ザイム大佐がクーデターを起こし大統領に就任.イスラエルとの徹底抗戦を叫ぶ.クワトリ派は1ヶ月にわたり抵抗を続けるが敗北. 2.04 イラン 国王の暗殺未遂事件が発生.政府は事件に関与したとしてツーデ党を非合法化. 10月 イランで国民戦線創設.モサデグが党首となる.アングロイラニアン石油(現在のブリティッシュ・ペトロ リアム)の国有化を提唱.政治体制の民主化を主張. 50.5.25 米英仏三国が共同宣言を発表.中東の現状維持と紛争国への武器供与制限で合意. 1951年 3月 イランの民族派テロリスト,首相と教育相を暗殺. 4月 イラン議会内で多数派を握ったモサデグ,石油国有化法案を成立させる. 4.29 イランのモハンマド・レザ・パーレヴィ国王,モサデグを首相に任命. 5.02 モサデク政権は,石油産業の国有化を宣言.国民戦線優位を占める国民議会は法案を可決. 9 西側諸国はイラン石油のボイコットを開始.米国は英国政府に国有化を受け入れるよう働きかけ、両者の和解を仲介しようと動く. 1952年 1月 モサデグ政権,内政干渉に抗議し,イギリスとの外交関係を凍結. 1月 モサデグ政権,アメリカとの相互援助協定の署名を拒否.軍事援助が打ち切られる. 4月 アメリカ,モサデグ政権を支持し軍事援助を再開すると宣言.イギリスの影響力排除が狙い. 6.26 カイロ市内の277の建物が,反政府派テロリストによりいっせいに放火される.ワフド党は混乱の中で支配力を失う. 7.23 エジプトにおけるナセルら自由将校団のクーデター.国王を退位させ,ナギブ中将を首班とする共和制を樹立.ナセルは副首相に就任. 10.22 イラン,英国と国交断絶.英国はイラン原油の輸入を全面的に禁止すると同時に、モサデグ政権の転覆計画を練る. 11月 バグダッドで石油国有化を要求するデモ.米英の文化・情報機関が焼き討ちされる. 11 英国,モサデグに対する共同のクーデタを米国に提案.イランのモサデク政権は二年にわたる制裁で弱体化.国王との関係も険悪化. 1953年 3 アイゼンハワー大統領,イランのクーデター計画を承認. 4.04 CIAのテヘラン支局,反モサデグのキャンペーンを開始. 5月 モサデグ、国王の権限を大きく制限. 6.18 エジプト,王政を廃し共和国を宣言. 53年8月 CIAによるモサデグ政権打倒 8.13 イラン国王,モサデグを罷免しザヘディを任命する勅令(ファルマン)に署名. 8.15 モサデグ,クーデターの首謀者ナシリを逮捕.国王はローマに逃れる. 8.18 トゥーデ党員を装ったデモ隊が,国王派の政党の事務所を襲撃.トゥーデ党指導部は、党員に対し自宅に待機するよう勧告. 8.19 反モサデグ派のデモ隊,イラン党本部を襲撃し、映画館一軒と新聞社数カ所を焼き打ち.同時にザヘディ将軍派の部隊がラジオ局や他の重要拠点を占拠. 8.20 モサデグ,反乱軍に降伏.米国はイタリア亡命中のシャー・レザ・パーレビをイランの権力の座に据える.ザヘディが政府首班に指名される. 12.03 イラン, 英国との外交関係を再開.石油問題の早期解決への努力を明らかにする. 12月 米・英・仏・蘭がロンドン会議に結集.アメリカが中心となりイラン石油の販売についてコンソーシアムを結成. 1954年 4月 イラク,アメリカと単独で相互軍事協定を締結. 8.05 イラン政府と国際石油コンソーシアム(米,英,仏,蘭)の間に新石油協定.イランは形式的国有化の代わりにアングロ・イラニアン石油会社に莫大な補償金の支払いを約束させられる.さらに4カ国合同石油企業体との間に不平等な販売協定を締結させられる. 9月 イラン国営石油公社(NIOC)設立 10.19 英国とエジプトの間で,運河地帯からのイギリス軍の全面撤退条約が締結される. 10.26 ムスリム同胞団,ナセル暗殺を狙う.演説中のナセルは数発の銃弾を浴びるが命中せず.ナセルは事件の黒幕としてネギブ大統領を逮捕. 11.01 アルジェリアでFLN設立.武装蜂起が始まる. 11.03 ナセル,エジプト国家元首に就任. 54 バース党イラク支部が結成される. 54 シリアのアレッポで民族主義将校の反乱.指導者のハムドゥーン大佐は「われわれは無知・病気・貧困・そして帝国主義に対する革命を望んでいる.われわれの軍隊は人民の敵ではありえないと宣言する」と演説. 1955年 2.24 バグダッド条約が調印される.イラクとトルコが相互防衛条約を締結.イギリスが同条約議定書に調印.アラブ諸国は強力に反対. 11.22 反共・反ソ連の軍事同盟として中東条約機構(METO が発足.バグダッド条約機構とも呼ばれる.イギリス,トルコ,イラン,イラク,パキスタンを加盟国とし,アメリカはオブザーバーにとどまる. 1956年 1957年 57 バース党を中心にイラク統一民族戦線(UNF)結成.民族民主党,イラク共産党が結集.親英反共のヌリ・エス・サイド政権と対立.シーア派左派のバーキル・アッサドルらがダウア党を創立. 57 イラン国家治安機構 (SAVAK)が設立される. ノーマン・シュワルツコフ(父)が指導.C. 「中東の歴史こそが、世界の現代史の縮図」。 彼の後、半独立の地方政権が生まれます。 中東には、ヒヨコ豆のペースト「フムス」や、ヒヨコ豆のコロッケ「ファラフェル」など料理を共有する国や地域が存在する。 「イスラム国(IS 」の宗派は何か? サウジアラビアとイランの国交断絶の背景にある宗派対立とは? 中東問題を理解する上で、 最低限必要な「イスラム教の宗派の違い」についてまとめてみました。 オスマン帝国、ロシアおよびオーストリアと開戦 1739ナーディル・シャー、インドへ遠征しデリーを攻略。

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